書と論語

書の練習、いつもなかなかやる気が出ないので、何か意味のある書のお手本はないかと探したところ出て来たのが論語なぞり書き。


↓こんなのが20枚


書いたのアップしようと思ったら失敗したので、今度うまく書けた時入れ換えときます😅



で、なんとなく聞いた事のある文が時々出てくるものの、なんだかさっぱり意味分かりません。


分からないまま10枚程練習したところでようやく意味を調べようという気に😅


調べてみたら、論語の中のいくつかの文が句読点なしにつなげて書いてあったのでした。



最初から意味を調べてみました。

学而時習之、不亦説(悦)乎。

習ったことを復習し身につけていくことは、なんと喜ばしいことか。 



有朋自遠方来、不亦楽乎。

友人が遠方から訪ねてきてくれることは、なんと嬉しいことか。 


人不知而不愠、不亦君子乎。

他人に理解されなくとも、不平不満を言わないのはとても徳のある人ではないか。



君子食無求飽、居無求安、敏于事而慎于言、就有道而正焉。可謂好学也已。

君子は、贅沢な食事を求めず、快適な家も求めず、行動は機敏で、言動は慎重をきして、徳の高い人に自分を正してもらう。このような人こそが、学問好きと言えるでしょう。



知之為知之、不知為不知,是知也。

知っていることを、知っていることと自覚し、知らないことを知らないと自覚する。これが知るということだ。


学而不思則罔、思而不学則殆。

学ぶだけで自分で考えないと本当の知識は身につかない。考えるだけで人から学ぼうとしないのも危険である。


温故而知新、可以為師矣。

過去の事柄を研究することによっ て、新しい知識が発見できるようになれば、それは人を導く 師となる資格があるということだ。


吾十有五而志于学、十而立、四十而不惑、五十而知 天命、六十而耳順、七十而从心所、欲不逾矩。

十五才で学問を志し、三十才で自立し、四十才にして惑わず、五十にして天命を知り、六十才で人のことばを素直に聞け、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった。


朝聞道、夕死可矣。

朝、真理を聞くことができれば、その日の夕方に死んでも悔いはない


不憤不啓、不悱不発。挙一隅不以三隅反、則不復也。

自分で考えて問題を解決しようとしなかったり、自分の考えを悶々と思い悩んでいたら教え導くことはしない。1つのヒントを与えてやれば他の3つを自分で考えるようでなければ、二度と教えることはない。


発憤忘食、楽以忘憂、不知老之将至云爾。

発奮すると食事を忘れるほどで、楽しむ時は心配事をも忘れるほど熱中し、自分に老いてが迫ってきている事に気づいていない。


古之学者為己、今之学者為人。

昔の学問をする人は、自分をりっぱにするためにしたが、今の学問をする人は、人から評判されたいためにしている。


知之者不如好之者、好之者不如楽之者。

学ぶことにおいて、その知識を知っているということは、勉強を好きな人間には及ばない。勉強を好きな人間は、勉強を楽しんでいる人間には、及ばない。


士不可以不弘毅。任重而道遠。

士たる者は、度量が大きく意志が強固でなければならない。

その任務は重大で、その道のりは遠い。


其身正、不令而行。其身不正、雖令不従。

自分の行いが正しければ、命令するまでもなく実行される。行いが正しくなければ、命令をしても従われないだろう。


巧言令色、鮮矣仁。

人に気に入られるように、口先でうまいことだけ言って中身が伴わない人間には、仁の心が欠けている。


君子之過也、如日月之食焉。過也人皆見之、更也人皆仰之。

りっぱな人の過ちは、日食や月食のようなものだ。過ちをすると、みんなに見られる。改めると、みんなが見なおす。


文質彬彬、然後君子。

中身と外見がほどよく調和してこそ、君子と言えるのだ。


志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁。

志のある人や仁のある人は、生きることを求めて仁を害することは無い。身を殺して仁を成し遂げることがある。





現代ではあまり使われていない意味や漢字もあり、ちょっとずつ異なった解釈があるようですが、紀元前500年も前に、今でも通じるような教えを説いた孔子はやっぱり偉大な人物ですね。



そういえば日本滞在時に見たテレビで、幼稚園児達が論語暗記して論語かるたをやっていました。


「意味わからないけど楽しい😀」って。



さて、これでもうしばらく書の練習がんばります🤨



それにしても、ムラゴンブログ(スマホ)で文字の大きさや太字がうまく反映されないのはなぜでしょう?